金光修社長の経歴を時系列で紹介!退任理由と日枝氏への媚売りエピソードも!

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金光修社長の経歴を時系列で紹介!退任理由と日枝氏への媚売りエピソードも!

金光修社長の経歴を時系列で紹介!退任理由と日枝氏への媚売りエピソードも!

金光修社長は2025年6月の株主総会をもって、

フジテレビの親会社の取締役を退任すると発表しました。

金光修社長と言えば、フジテレビ問題の記者会見で「偉そう」な態度が話題になりました。

そんな金光修社長の「経歴」を時系列でご紹介します。

Fujiko

後半では、退任理由についてもまとめています。

金光修社長の経歴

金光修社長は現在の社長になるまでに、どのような経歴を辿ってきたのでしょうか。

経歴を見ることで「偉そう」な態度がどのようにして生まれたかも垣間見れます。

時系列で見ていきましょう。

プロフィールとフジ入社までの経歴

金光修社長のプロフィールをご紹介します。

  • 1954年10月28日生まれ(現在70歳)
  • 東京都出身
  • 早稲田大学第一文学部卒業

早稲田大学の第一文学部には、当時文学部と文化構想学部があり偏差値はいずれも67.5です。

金光社長は韓国人とも言われていますが、現時点で確固たる証拠はありません。

金光修社長は大学卒業後、1978年に西武百貨店に入社しマーケティングを担当していました。

その後5年間、西武百貨店にて勤務します。

フジ入社後の経歴

1983年にフジに中途入社。入社時は、番組企画を希望していました。

1984年

  • 入社直後はイベント担当の部署で、地方の演歌ショーなどの経験を積む
  • 音楽イベントなどのチケットをオンラインで販売する「チケットセンター」の設立に携わる

1987年

  • 映画「私をスキーに連れてって」を大ヒットさせる

1989年

  • 編成部に異動し「料理の鉄人」などの企画に関わり、人気番組に成長させる

1999年

  • BSフジ編成局長に就任

2002年

  • 「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」で社会現象を起こす

2009年6月

  • フジテレビジョン経営企画局長に就任

2011年~怒涛の昇進

2011年6月フジ・メディア・ホールディングス(FMH)経営企画局長
2012年6月FMH及びフジテレビジョン両社の執行役員経営企画局長
2013年6月FMH常務
2015年6月FMH専務
2017年6月フジテレビジョン専務
2019年6月FMH代表取締役社長
2021年6月FMH代表取締役社長とフジの社長も兼任(~22年6月)

2019年には「翔んで埼玉」「コンフィデンスマンJP」など映画事業でヒットも出している。

金光修社長は「権力欲の強い人間」だという元重役の声もあります。

具体的には、次のような日枝氏への媚び売りエピソードです。

日枝氏を乗せた車が大雪のため首都高のトンネルで渋滞し、身動きが取れなくなっていた時。

金光氏は車両部から日枝氏の状況を知り、日枝氏の元に駆け付けてトンネル内から救出した。

この件は当時、社内でも「そこまでやるかね」と皆が呆れていた。

その翌年に、金光氏は中途採用ながらフジHD社長に抜擢されたそうです。

Fujiko

救出ってどんなことしたんだろう、、周りは面白くないですよね。

金光修社長がフジを退任した理由

金光修社長は、退任理由について「役員の定年制度を導入を受けたもの」としていますが、

実際のところは以下の責任を取って退任となったと考えられます。

  • 男性優位の構造が思慮に欠いた経営判断や、ハラスメントへの感度の低さを招いた
  • 2024年度のグループの純損益が、201億円の赤字に転落

金光修社長は「日枝のイエスマン」とも言われていることから、退任は妥当なように思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、金光修社長の経歴を時系列で紹介しました。

退任の発表とともに再発防止策も示され、新たな取締役にも今後注目です。

Fujiko

フジテレビの体質が改善されることを願っています!

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